アドラー心理学について

アドラー心理学とは

アドラー心理学(adlerian psychology)とは

アドラー心理学とは、オーストリア人の精神科医であるAlfred Adler氏(1870年〜1937年)が提唱した心理学です。
正式名称は「個人心理学(Individual Psychology)」と言い、1913年にアドラーが「個人心理学会」を設立して以来、心理学の一つの流派になっています。

アドラー心理学の特徴は、「分割できないもの(in-dividu-um)としての人間」を扱うという点です。
つまり、人間を分割できない全体であると捉えて、人間は統一されたものである、と考える心理学であることです。
これは、身体と精神、意識と無意識、感情と理性などの二元論に対立する主張をとることになります。

また、アドラー心理学は「勇気の心理学」と異名が付けられており、「勇気」こそが自分を変えるために最も必要なものであると説いています。
そして、他者に関心を持つこと、他者に貢献しようとすること、他者を支配しないで生きる決心をすること、という豊かに生きるための指針となる心理学です。


共同体感覚(Social Interest)とは

アドラー心理学が最終的に目指すのは、共同体感覚を養うことです。

共同体感覚とは、家族・地域・職場などの共同体において、「私はこの共同体の一員だ」という感覚を持っている状態を指します。
共同体感覚を持つことで、共同体にいる仲間に関心をもち、仲間を信じ、仲間の幸せや成長に役立とうとする貢献感や信頼感を育むことができます。
共同体に貢献することで、「自分には居場所がある」「ここにいれば安心できる」という所属感や安心感を獲得できます。
これこそが、対人関係のゴールであると、アドラーは説いています。

共同体感覚は、分解すると自己受容、他者信頼、他者貢献、所属感の四つで構成されます。
・自己受容とは、「ありのままの自分を受け入れる。現在の自分が好き。」という感覚です。
・他者信頼とは、「周囲の人たちは信頼できる。他者が自分を支えてくれている。」という感覚です。
・他者貢献とは、「自分は他者に貢献できている。私はこの共同体の役に立っている。」という感覚です。
・所属感とは、「私はこの共同体の一員だ。」という感覚です。

共同体感覚が欠けていると、他者に関心が持てなくなるため、誰かに貢献しようとする気持ちを持てません。
そのため、集団から徐々に孤立して、他者と交流しなくなり、他者が信用できなくなっていきます。
結果的に、自分のことしか考えられず、他者を支配する対象だと思い込み、ますます視野が狭くなってしまいます。
常に対人関係に悩まされるという人は、共同体感覚を持つことができていないのです。


ライフタスク(3つのタスク)とは

アドラーは、人生において誰もが3つの「ライフタスク(人生の課題)」に直面すると提言しました。

3つのライフタスクとは、「交友の課題」「仕事の課題」「愛の課題」です。
・交友の課題とは、他者とどのように関わりながら生きていくかという対人関係の課題です。
・仕事の課題とは、他者との協働・分業に関わることで、いかに社会に貢献するかという課題です。
・愛の課題とは、恋人や配偶者との関係性や親子といった家族の関係性の課題です。

人がライフタスクに取り組むのは、人が絆や繋がりの中で生きているからです。
そして、ライフタスクを果たすことで、共同体感覚を育むことができるようになります。
アドラー心理学では、ライフタスクを果たすことこそが人生の意味であり、人間の価値を決めると考えます。


(備考)心理学と哲学の違い

しばしば、「アドラー心理学は心理学ではなく哲学である」と言われることがあります。
このことは、アドラー心理学には実験や統計を用いた科学的な裏付けがなく、思想的な提言となっていることに由来します。
確かに、アドラー自身が提唱した初期アドラー心理学の内容は、現代社会向けの啓蒙書に近いといえるかもしれません。

しかしながら、心理学は比較的若い学問領域であり、哲学との境界が曖昧でありつつ、派生系統が様々生まれている学問です。
特に現代心理学は、カウンセリングや治療という実践的方面としての「臨床心理学」と、人間の認識のあり方を解明する「認知心理学」に大きく別れてきています。
また、その他にも様々な派生系統が存在しており、人間の集団を扱う「社会心理学」なども盛んになっています。
つまり、アドラー心理学は、精神分析学や臨床心理学寄りではなく、認知心理学や社会心理学寄りの哲学要素のある心理学であると言えると思います。

なお、心理学とは、人の心や行動のメカニズムといった、人間の心理に焦点を合わせた学問です。
近年の心理学は、理性の働きやその思考を統計的な傾向性として調べる特徴があり、科学的な裏付けを重視します。
これに対して、哲学とは、形而上学とも呼ばれるように、物事の道理で考えて、抽象的な疑問の答えを導く学問です。
哲学は、人生や宇宙全般の普遍的な根本の問題を考えるものであり、心理学を含めてあらゆる学問を内包します。


5つの基本前提(5 Basic Assumptions)

1.仮想論(Fictionalism)

仮想論とは、人は誰しも自分の価値感を基準にして、主観的に世界を認識しているという考え方です。
つまり、誰もが自分の都合の良いように、自分の好きなように世界を見ているということです。
また、多くの場合に、その自分独特の解釈に基づいた主観的な世界を、あたかも「客観的事実」であるかのように認識します。

各個人が独自の価値観によって「正しい世界」を認識しているということは、自分とは異なった「無数の正しい世界」の見方があるということです。
そして、人は、客観的な出来事であるか(客観主義)ではなくて、主観的なものの見方(認知論:epistemology)によって行動を選択します。
アドラー心理学では、このことを認めて、自身の主観こそを変えることで、いつでも人は変わることができると提唱します。


2.全体論(Holism)

全体論とは、人間を分割できない統一体として捉える考え方です。
アドラーは、「私たちの心理学理論の全体、理解の全体、あるいは個人を理解しようとする努力は、私たちが人間は一つの統一体(unity)であると確信できなければ、空虚で無意味なものになってしまうであろう。」という言葉を残しました。
つまり、人間を部分に分けて細かく観察しても、それでは人間の全体像を理解することはできない、とアドラー心理学では考えます。

全体論では、理性と感情、意識と無意識、心と身体はすべてつながったひとつのものと捉えます。
例えば、「わかっているけど、止められない」という言葉の本質は、「止めたくない(やりたい)から、やっている」と捉えます。
人は喜怒哀楽が混ざり合い交錯している生き物であり、ミクロな視点だけでは複雑な人の心を捉えることはできない、と全体論は主張します。


3.目的論(Teleology)

目的論は、原因論と対極に位置する考え方です。

まず、原因論とは「何か原因があって結果が作り出される」という考え方です。
例えば、一般的に言われるようなトラウマやPTSDなど、過去の出来事が現在の状況を作っている、という考え方は原因論に基づいています。
原因論では、問題を解決する際、原因を探り、それを解決していくことで結果を変えていくアプローチを行います。

これに対して、目的論とは「何か目的があってその結果を作り出している」という考え方です。
この点をアドラーは「人が何かしようと行動を決めるときは、必ず未来に向けての意思が働いている」と言いました。

目的論では、例えば、遅刻を繰り返す社員が遅刻癖を改善できない理由は、体調が悪いことや寝不足であることを原因と見なしません。
そもそも会社に行きたくない、仕事の時間や仕事量を少なくしたい、仕事以外のことがしたい、という目的を満たすために遅刻していると考えます。
本人の意思で、目的を変える方向で改善を行わなければ、この遅刻癖を直すことはできないのです。


4.社会統合論(Social Embeddness)

社会統合論とは、「個人は社会の中に組み込まれた存在である」という考え方です。
この考え方では、個人の行動は社会的な文脈の中で捉えることで初めて理解することができる、という立場を取ります。
つまり、個人の行動には、相手役がおり、対人関係というシステムの中でそれぞれが相互に影響していることになります。
なお、Embeddedとは、「埋め込まれた」という英単語であり、「(人間は)社会に埋め込まれている」という意味になります。

社会統合論は、対人関係論、人間関係論とも言い換えられます。
これらはいずれも、人間を社会的存在(社会的動物)と捉えて、人の行動は対人関係の課題や問題を解決するために行われていると提唱します。
なお、アドラーは対人関係について、「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」と断言しています。


5.個人の主体性 (Subjectivity)

個人の主体性とは、「人は自己決定することで、自分の人生を主体的に創造することができる」という考え方です。
つまり、人生は外的要因に左右されるのではなく、主体的な意思決定による行動で形成されると考えます。

アドラー心理学では個人の主体性が重視され、自分の振る舞いの責任を他のものに転嫁しません。
例えば、親が言うことを聞かない子供に対してに声を荒げて𠮟りつけた場合に、「怒りによって、私は声を荒げて叱ることになった」と責任転嫁することを認めないということです。
この時、「怒り」は感情で相手を従わせようとする目的達成のための手段であり、根本的には子供に言うことを聞かせたいという要求が存在します。
つまり、親が自身の要求を通すために、「怒り」を用いて子供を従わせようとする意図があるとみなします。

個人の主体性は、創造性(Creativity)、自己決定性(Self-Determination)とも呼ばれます。


アドラー心理学の技法

課題の分離(separation of tasks / Whose responsibility?)

課題の分離とは、物事を「自分の課題」と「他者の課題」に明確に区別する考え方です。
自分の課題に対しては、他の誰でもなく、自分自身が真摯に向き合い責任を持ちます。
一方で、他者の課題は他者が責任を持って向き合うものであり、不必要に踏み込まないようにします。

他者の課題に介入することは、そもそも自分の支配下にない問題を自分の思い通りにしようとする身勝手な行為です。
例えば、自分がとった行動の結果、相手がどう思うかは相手の課題です。
もしも、他者の課題を自分の思い通りにしようすれば、他者への過度な干渉や支配を生み出し、人間関係の悪化に繋がります。
そして自身も、自分でコントロールできない問題に心を奪われて、不要なストレスを抱えることになります。

アドラーは、「あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと(あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること)によって引き起こされる」と語りました。
課題の分離ができていない人ほど、他者に過度な期待を抱きやすく、相手が自分の思い通りに行動しないことにストレスを感じます。
そして、自分の課題を他者のせいにして、責任を十分に果たしていないことに気づきもせず、他者の価値観に合わせた生き方を選ぶことになります。
この結果、人間関係が悪化していき、様々な衝突やトラブルを引き起こすことになります。

課題を分離することは、他者と尊厳のある関係を構築するということです。
決して、他者との関わりを否定したり、自分勝手に無責任に振る舞うということではありません。
お互いが相手の課題に踏み込まず、他者がコントロールする課題に不用意に干渉をしないことで、対人関係の悪化を防ぎます。
「その課題の最終的な責任を引き受けるのは誰か?」と考えて、自分の課題に注力して責任を果たすことは、より健全な人間関係を築くことが出来ます。


勇気づけ(Encouragement)

勇気づけとは、自分自身や他者に対して、困難を克服する活力を与えることです。
ただし、具体的な勇気づけの方法は不定であり、その方法は相手によって様々に変わります。
なぜなら、何によって勇気づけられるか、何によって勇気がくじけられるかは、人それぞれだからです。

勇気づけで大切なのは、「横の人間関係」という対等な関係を築くことです。
褒める、叱るといった「縦の人間関係」では勇気を発揮できるようにはなりません。
例えば、子供を褒めてばかりいると、子供は褒められる行動ばかりとるようになり、他人からの評価に依存する人間になってしまいます。
これは勇気づけと言えません。
勇気づけとは、人間関係に相互尊敬・相互信頼を育み、「自分には価値がある」と感じられるように支援することです。

勇気づけの具体的な方法の一例としては、以下のことが挙げられます。
・相手が自分の力で課題を解決できるよう支援する。
・相手がしてくれた貢献的な行動や協力的な行動に感謝を伝える。
・結果だけではなく、過程や姿勢にも着目する。
このように、自分に価値ある、自分の居場所がある、と実感して共同体感覚を育むことこそ勇気づけなのです。



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