お釈迦さまについて

仏教におけるお釈迦さまとは

お釈迦さまとは

お釈迦さまとは、仏教の開祖であり、悟りを開いた人物のことを指します。
本名は「ゴータマ・シッダールタ(Gautama Siddhārtha)」といい、紀元前463年(紀元前566年という説あり)にインドの北西(ネパール付近)に生誕されています。

ゴータマ・シッダールタという名がありながら、「お釈迦さま」と呼ばれるようになったのは、釈迦(シャカ)族の王子であったからという説が有力です。
また、釈迦族の聖者であるため「釈迦牟尼(しゃかむに)」呼ばれることや、釈迦族の尊者として「釈尊(しゃくそん)」とも呼ばれることもあります。


お釈迦さま=仏陀(ブッダ)である

仏陀とは、「目覚めた人」や「悟りを開いた人」を意味しており、本来は個人を表すものではありません。
とはいえ、仏教界においては、お釈迦さまが歴史上ただ一人の仏陀であると定められています。
そのため、お釈迦さまのことを仏陀、仏さま、仏陀釈尊などと呼びます。


お釈迦さま(ゴータマ・シッダールタ)の生涯について

生誕~幼少期

ゴータマ・シッダールタは紀元前5〜6世紀頃、ルンビニー(現在のインドとネパールの国境付近)に生まれました。
父は釈迦族の国王である「シュッドーダナ」、母は隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘「マーヤー」です。
ゴータマは名字であり、「もっともすぐれた牛」という意味で、名前のシッダールタは「願いが満たされた者」という意味です。

シッダールタは、母を誕生から7日後に亡くしています。
しかし、母の妹である「マハー・プラジャパティー」が親代わりとなり、釈迦族の王子として何不自由なく育ちます。
16歳の時に隣国の王女「ヤショーダラ」姫と結婚して、19歳の時に第一子となる息子・ラーフラが誕生して順風満帆な生活を送ります。


青年期~出家

シッダールタは感受性が強く、物静かで思索を追及する青年であったといわれています。
その後も、妻と息子とともに平穏な生活を送っていましたが、心の中では常に悩み、人生への苦悩を抱えていました。
そして、29歳の時に妻子を残したまま、王位を捨てて修行者になり、出家しました。


出家~悟りを得る

シッダールタは6年間にわたって苦行を続けるも悟りを得られず、このままでは真理に到達できないと考えました。
35歳の時に苦行を放棄し、近くの川で身を清めていたところ、通りかかった村娘「スジャーター」から乳粥を施されます。
これにより心身は回復し、強い決意を抱いたシッダールタは菩提樹の下で座禅を組み、瞑想を行います。
幾日も瞑想を行い、ついには悟りの境地に至り、ブッダとなりました(成道)。


成道~入滅

成道以後、シッダールタは45年にわたって様々な人々に説法を行いました。
自らの教えを持って方々へ旅に出て、王族、バラモン、商人だけでなく女性や奴隷にも教えを説き、出家に導いたそうです。
そして80歳の時、シッダールタは伝道の末に入滅したと言われています。
なお、死因はキノコ料理(豚肉という説もある)による食中毒であったと云われています。


お釈迦さまの伝説について

八相成道(はっそうじょうどう)

八相成道とは、お釈迦さまの生涯における八つ主要な出来事のことです。
八相示現や八相作仏とも呼ばれます。
これは、他の宗教で見られるような権威付けのための創作神話と同じく、後に語られるようになった伝説となります。

順番 出来事 説明
1 降兜率(ごうとそつ) 降兜率は、お釈迦さまが兜率天から白像になって母マーヤ夫人の胎内に入ったという伝説です。
前世のお釈迦さまは、兜率天(とそつてん)という世界で、悟りを開くために修行していました。
この世界に降りてこられるにあたって、6本の牙を持つ白い象に姿を変えられたということです。
2 託胎(たくたい)・入胎(にゅうたい) 托胎(入胎)は、お釈迦さまの母である摩耶夫人(まやぶにん)が妊娠した時の伝説です。
白い象の姿になったお釈迦さまは、摩耶夫人の右脇から胎内に入りました。
夫人は白像が天上から降り、寝床を三度右回りにまわり、右脇から胎内に入った夢見たといいます。
3 出胎(しゅったい)・(ごうたん) 出胎(降誕)は、お釈迦さまがお生まれになられた時の伝説です。
4月8日に摩耶夫人の右脇から出生しました。
生後直後に、立ち上がって7歩歩き、「天上天下唯我独尊」と唱えられました。
4 出家(しゅっけ) 出家は、お釈迦さまが王子という立場や妻子を捨てて修行を始める時の伝説です。
お釈迦さまが出家される動機は「四門出遊」という物語で語られます。
この世の無常を観じ、王宮を密かに抜けだして出家されます。
5 降魔(ごうま) 降魔は、お釈迦さまが悪魔(マーラ)の攻撃をことごとく退散させて悟りを開いた時の伝説です。
降魔とは悪魔(迷いや誘惑)を退けるという意味です。
6 成道(じょうどう) 成道は、12月8日の夜明け前、お釈迦さまが35歳にしてブッダになられた時の伝説です。
成道とは悟りを開くという意味です。
7 転法輪(てんぽうりん) 仏教の守護神である梵天(ぼんてん)が現れ、お釈迦さまに説法を行うよう説得した時の伝説です。
転法輪とは、仏が人々に教えを説いて広めるという意味です。
初めて説法を行ったことを「初転法輪(しょてんぼうりん)」といいます。
8 入涅槃(にゅうねはん)
入滅(にゅうめつ)・涅槃(ねはん)
入涅槃は、お釈迦さまが2月15日に亡くなられた時の伝説です。
80歳でクシナガラ城外の沙羅双樹の下で、最後の説法を終わって亡くなったと云われています。

天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)

お釈迦さまは誕生した直後に立ち上がって七歩歩き、右手で天を、左手で大地を指差したまま、この言葉を説いたといわれます。
この言葉は、「この世界に生きる人々は、誰もが皆尊い存在である」という意味です。


四門出遊(しもんしゅつゆう)

四門出遊とは、お釈迦さまが太子だった頃に王城の東西南北の四つの門から出かけた際に、老病死の人生苦を観じて出家を決意したという逸話です。
誰もが「生・老・病・死」から逃げられないという世の無常に悩んでいた時、質素ながらも気高い修行者に出会うことで、自らも出家を決意したといわれています。

・東門から出ると、腰の曲がった老人を見つけ、人が老いることを認識します。
・南門から出ると、倒れている病人を見て、病に苦しむことを知ります。
・西門から出ると、葬列に遭遇して、人の死を目の当たりにします。
・北門から出ると、修行する出家者の姿を見て、自らも出家を志すようになりました。


初転法輪(しょてんぼうりん)

初転法輪とは、悟りを開いたお釈迦さまが初めて説法を行った逸話です。

お釈迦さまは当初、自身が悟った仏法の説明はとても難しく、人々に理解してもらえないだろうと、説くことをためらわれたそうです。
その時、仏教の守護神である梵天(ぼんてん)が降臨し、お釈迦さまに三度にわたって法を説くように願い求めました。(梵天勧請)
これによりお釈迦さまは人々のために説法をすることを決意したといわれています。

お釈迦さまはブッダガヤで悟りを開いた後、鹿野苑において共に苦行した5人の修行仲間(五比丘:ごびく)に説法を行ったとされています。
五比丘は最初、修行を捨てたお釈迦さまを軽蔑しており、冷たくあしらうような態度でした。
しかし、お釈迦さまが何度も説法される内に、五比丘は感銘を受けて悟りに達し、お釈迦さまの弟子になります。

この最初の説法を、初めて「法の車輪」が回ったということで「初転法輪」と呼ぶようになりました。
法輪とは仏の教えを意味し、古代インドで使われていた円盤形の武器がモチーフとなっています。
なお、この時の説法では、中道、四諦、八正道、無我などの教えが説かれたとされています。


沙羅双樹(さらそうじゅ)

沙羅双樹とは、お釈迦さまがクシナガラで入滅した時に寝床の四方に2本ずつ沙羅の木があったとされる逸話です。
沙羅の木は、仏教では聖木とされており、仏教三大聖樹のひとつとされています。
沙羅双樹は、入滅を悲しんで、2本のうち1本ずつが枯れ、満開の花は死を惜しむかのように舞い散ったといわれています。


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