中道について
中道とは
中道(ちゅうどう)とは
中道とは、極端に偏らず、調和の取れた状態を目指す考え方のことです。
この考えは仏教における中心的な教義であり、悟りを得るために必要なことと位置付けられます。
なお、中道は、二つの極端の中心点(2つを足して2で割る)という意味ではありません。
物事を偏りのない見方をして、極端から離れた自由な立場にいることが中道になります。
中道は初転法輪で説かれた教えの一つ
釈尊は悟りを開かれた後、かつて共に苦行をしていた5人の修行者たちに説法(初転法輪)を行いました。
この時の説法で、中道の教えが説かれたとされています。
比丘たちよ、世の中には出家者が近づいてはならない二つの極端がある。
二つとは何か。
一つは、愛欲快楽を求め、感覚的な快楽を楽しむこと(楽行)である。
これらは下劣かつ卑賤、つまらぬ人間のやることで、無意味で無益である。
もう一つは、自分に苦難を味わわせること(苦行)である。
これは苦痛であり、聖なる道ではなく、無意味で無益である。
比丘たちよ、如来はこの二つの極端を捨て、中道をはっきりと悟った。
この中道こそが、眼を生じさせ、智を生じさせ、寂静、証智、等覚、そして涅槃へと導くのである。
(パーリ仏典 相応部の五六・二)
中道は、釈尊が出家前の王城における裕福な生活と出家後の厳しい苦行を経験したことで認識されたことです。
釈尊は、極端な快楽と苦行は悟りに至らず、いたずらに自らを苦しめるものであると説かれます。
そして、中道に立つことにより、真理を見る目が生じ、真理を知る知が生じ、心の静けさ、すぐれた知恵、正しい悟り(等覚:とうがく)を得て涅槃に辿り着くと説きます。
弾琴の喩え(だんきんのたとえ)
弾琴の喩えとは、釈尊が修行に行き詰った弟子のソーナに説いた中道の教えの比喩です。
「琴の絃というのは締めすぎても緩めすぎても良い音はでない。
緩めすぎず急すぎず程よく調整された絃であれば、その琴は微妙和雅なる音を奏でる。
修行というのもこれと同じである。」
(二五四)如是我聞。
...(略)
汝彈琴時。若急其絃。得作微妙和雅音不。
答言不也。
世尊復問。云何若緩其絃。寧發微妙和雅音不。
答言不也。
世尊復問。云何善調琴絃。不緩不急。然後發妙和雅音不。
答言。如是世尊。
雑阿含経巻第9-254
中道と他の教えの関連について
中道と四法印
中道は、四法印で示された真理を知ることで執着を離れ、私心ない心の状態を表します。
すなわち、この世界は諸行無常(あらゆる物事は常に変化して移り変わっている)であるため、凝り固まった考え方や行動は適切でないことを知ります。
また、諸法無我(一切の存在はそれ自体単独では存在できない)の真理を知ることで、執着を離れて適切な視野を得ることができます。
詳細は四法印を参照ください。
中道と十二因縁
中道とは、縁起の道理を正しく理解し、それに基づいて偏りのない見方・考え方・生き方をすることです。
これにより、執着を離れた無心な心の状態を得ることができます。
詳細は十二因縁を参照ください。
中道と八正道
中道の具体的な実践方法として「八正道」が示されています。
八正道とは、悟り(苦しみの止滅にいたる道)を目指すための八つの項目から成る道です。
八正道(正しい見解・正しい思考・正しい言葉・正しい行為・正しい生活・正しい努力・正しい念慮・正しい三昧)を実践することで中道を悟ります。
中道に立つことにより、真理を見る目が生じ、真理を知る知が生じ、心の静けさを得ることができます。
これにより、涅槃への道に導かれます。
詳細は四諦八正道を参照ください。